息子の凸凹特性と対応への後悔
息子の特性については、今でも「あー、だからこうなのね」といった具合に
まだまだ、新たに気づくことも多く
その都度、対応の仕方を考えていかねばなりません
それは、息子本人のためだけでなく、家族としての生活を守るためでもあります
本人も年齢的にはとうに成人を過ぎ、見た目だけは大人ではありますが
精神的、情緒的には成人のそれとはほど遠く
小学校の高学年から思春期の入口ぐらいといったほうがしっくりきます
イライラしやすかったり、時には癇癪をおこすところは幼稚としか言いようがない
とはいえ、話が全く通じないかというとそんなことはなく
最近のニュースやネットで得た様々な情報について、自分の考えはしっかり言えるし
充分意思の疎通はできています
ただ、それも私との会話限定で父親、姉となると途端にぎこちなく言葉少なになり
特に父親とは「はい」「ありがとうございます」など定型の敬語しかほぼ喋らなくなります
これは特性以外にも、幼少期から父親にきつい言葉で叱られたりしたこと
日常的に威圧感を強く感じていたことから
そのような受け答えになってしまっているのかなと思います
たとえ、障害があっても
もっとのびのびと育っていたなら、引きこもりも含めて今の状態までにはならなかったろうと思うと
これは私自身も同様に息子に対して、申し訳ない気持ちがあります
もう今更何を言っても、言い訳にしかなりません
息子自身の苦痛を同じように感じることはできないけれど
親として、息子の気持ちに寄り添い
だからといって、干渉しすぎず、見守ることを心掛けてはいます