息子が成人し、歳を重ねていくにつれ、親のできることは限られていきますね
これが親の加齢に伴い、できないことのほうが増えてきます
10年前はとにかく引きこもりの状態が続くのはよくないと
役所関係、相談機関に連絡をとり、足を運び
高校の進学を考える時期には
通信制のサポート校の見学や合同相談会にも本人を連れて行きました
当時は児童精神科の通院にも付き添わねばならず、職場にも迷惑をかけました
幸い理解ある同僚のおかげで、それらのことをこなすことができたと思います
本来、腰の重い私が仕事の合間をぬって、我ながらよく動いた
それだけ必死でした
でも本人のためと言いながら、周りから何もしない親だと思われたくない部分が
一番だったかもしれません
結果それらのことが直接的には実を結ぶことはありませんでした
一生懸命にやれば結果は必ずついてくるということは無かったのです
それは当時障害があることに気づかず、本人が何に苦しんでいるかを理解していなかった
そんな私が本人に良かれと思って動いていたことは的外れなことでした
中学の時はいつか登校できる日を想像し、次は高校、就労訓練、どこか自宅以外の居場所をetc
これらのことが全て本人にとってはハードルどころか棒高跳びのバー並みに高いものでした
それを超える力を持っていないんだ、そこまで望んですらいけないんだ
よく自分の子どもに平凡でいい、人並みでいいという言葉がありますが
それすら望めないということが現実としてつきつけられた時
それまでに数えられないほど、心を折ってきた私でもやはりしんどいものがありました
今の私を支えているのは、何より辛い思いをしているのは息子だという思いだけです
無理やりにでもそう思っていないと、日々息子とは生活できません
頑張っているというより踏ん張っているというのが正しいです
それも平らな地面ではなく、不安定にバランスをとっている石の上でですよ
ゴールの見えない親業をやっているわけですから、これは本当にしんどい
たまには愚痴を吐いてガス抜きしないとね